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大学院生となって看護教育について考える 〜看護倫理の視点から〜2017/10/10(火) 16:56:29 RSSにてレス一覧を表示
こまつ看護専門学校・矢口和美さん
 近畿・北陸地方会の皆様、はじめまして。初めてリレーブログに参加致します。
看護教員になり5年が経ちますが、4月より仕事と福井県立大学大学院の修士課程との両立生活が始まり、新たな気づきの毎日です。
 私は、看護教育とは看護師を育てること、そして人を育てることであると考えています。しかし、看護教育に携わる中で、「看護師になりたい思いも強く、とてもいい子なのになあ。でも看護師という専門職としてはどうか」と思う学生に出会うことがあり、もやもや感に襲われる時があります。最近、その「もやもや感」が「すっきり」に代わる瞬間がありました。それは、大学院の「看護倫理」の講義を受けたときです。「倫理」の歴史を紐解くと、「徳倫理」から、「原理四原則」、多様な倫理アプローチへと時代により変化しているとのことでした。私は恥ずかしながら『徳倫理学』というものを初めて知りました。「いかによい人間になるべきかを問題とする」という考え方です。看護は自分自身を道具とするので、良い人かどうかが看護の質を左右するということでした。なるほど!
 私は、もやもやする気持ちを「倫理」の視点で考えてみました。例えば、学生の立場で考えると、「自分でも看護師に向いているかはわからないけれど、どうしても看護師になりたい。ここまで頑張ってきたから親のためにも看護師になりたい」という強い思いがあります。看護教員の立場で考えると、「なりたい思いは尊重したいけれど、看護師として働くのは難しそうだな。医療事故など起こさないかな。時間がもっとあれば、変われるのかな。それとも看護師になったら成長するのかな。良い人が看護師で在ってほしい。しかし、良い人だけでは駄目だから」という思いがあります。看護師になりたいと志す、未来の後輩に「看護」のリレーをしたい、学生の思いを大切にしながら学生を育てたい思いと、一人の自立・自律した看護師として活躍できる人材を輩出するという看護教員の責務を果たさなければという思い、私の中で起こっていた価値の対立に気づかされました(これについては、同期とディスカッションしてみようと思います)。そして、この「もやもや感」は解決することはないということに気づき「すっきり」したのです。
 何を善いと捉えるかは多様です。だからこそ、看護職として、教育者として、人間として、真摯に考えることのできる倫理観ある人でありたいと思っています。
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