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未来のあなたたちへ2017/06/29(木) 12:51:35 RSSにてレス一覧を表示
金城大学看護学部 成人看護学 原 元子さん
クリックにて拡大表示夏至も過ぎ、いよいよ夏本番!
近畿・北陸地方会の皆様、こんにちは。
 教育職に就いて15年弱、臨床で看護師をしていたころから馴染み深い会でした。
 日本看護研究学会のお役に立てることを光栄に思います。
 さて、金沢といえば前田家の加賀100万石。新卒の私に20年弱「人間とは?」「何故看護師になったのか?」と顔を合わせる度に問いかけてくださる患者さんがおられました。
 まるで禅問答の毎日でした。日本人の考え方は何故他国の方たちと違うと言われるのか?伝統芸能と言われる日本独特の行事は何故生まれたのか、そして何故継続されているのか?「看護」という枠に捕らわれずに人の生活に関わる文化・芸能・歴史・神社・仏閣に至るまでの知識を得ること、更に禅問答の奥が広がることがとても楽しかったのです。今思えば、一つの物事に対してしっかりと深く捉える素地を培ってきたのだと思います。まさか禅問答の相手が金沢大学で哲学を教えておられた名誉教授だったことは知る由もありません。私は前田家を守る永平寺の教授尼を大叔母にもち、幼いころから「他人様に生かされる」ことを教えられてきていました。患者さんに育てていただいたことは感謝にたえません。人々との繋がりや生き方を教えていただくために、この職に就いて「今」を生きることの大切さ、楽しさを次世代の方々に伝えたいと考えております。
 「我が生きる」のではなく「我は活かされている」ことに気づけることが、何よりの幸せだと感じます。「当たり前」はこの世にありません。学生に少しでも学修することの楽しさ、研究による気づきを経験できる支援をしていきたいと考えています。そこで、「わかっているができない」患者さんへの援助に関する研究、授業に関する学生の理解の構造などの研究を行っています。
 最期に禅問答で心に残っている言葉を記します。
昭和の禅僧である山本玄峰―氏の言葉なのですが「法に深切、人に親切、自分に辛切」「一切は自分なのじゃ」。つまり、生きていくという修行は「世の中、人のため」ではなく自分のためにやっている。自分を磨く姿そのものが他者の気付きにつながる。亡くなるその日まで、ご恩になった一人ひとりの名を仏前で読み続けたといいいます。
私は、看護教育を含む人間教育の本質がここにあると感じます。
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第23回日本看護診断学会学術大会を京都で開催します2017/05/18(木) 18:51:00 RSSにてレス一覧を表示
京都大学 任 和子さん
クリックにて拡大表示近畿・北陸地方会のみなさま こんにちは〜
京都大学の任です。
教員になったばかりの頃(もう20年以上前・・)、近畿・北陸地方会の学術集会の運営や、本学会の実行委員などに参画させていただいて、ていねいに仕事をすることの大切さ、職位や年齢に関係なく自由に看護の発展を語ることの喜びを諸先輩方から学びました。
まさか自分が学術大会長をする日が来るなんて夢にも思っていませんでした。
若手のみなさん、すぐに順番が回ってきますよ!

というわけで、この場をお借りして、すでに福井大学の上野栄一先生がご紹介してくださいましたが、第23回日本看護診断学会学術大会について、あらためてご紹介(宣伝)させていただきます。上野先生は実行委員長です!

flyerを添付します。
HPは以下です。
http://www.aeplan.co.jp/jsnd2017/
メインテーマは「患者像をつかむ!」。
患者さんの全体像を浮き彫りにして看護師が関わって解決すべき個別の健康上の問題にアプローチする、という看護診断本来の意味を再考すること。加えて、看護師が行った看護診断を集積することによって患者像を捉えて、さらに質の高いケアにつなげること。こうしたことを参加者の皆さんと考えたいと思い、メインテーマを決めました。

もう20年程前になりますが、「患者さんの心情や心理に、名前(看護診断名)をつけることに躊躇する」という学生の言葉が今でも私の心の奥底でひっかかっています。
そこで、特別講演「再考:患者像に名前をつけること」を,京都大学の村井俊哉教授にお願いしました。村井先生は,米国精神医学会(APA)による精神疾患の診断分類で、日本でも医師が診断に活用しているDSM(Diagnostic and Statistical Manual )の翻訳を担当された精神科医です。DSMのように分類に基づく診断を臨床で実践しながら、社会で苦悩しながら生きる人間の実存も深く考察されています。このタイトルは、私がリクエストしたのですが「おもしろそうですね、これを機に考えてみます」と快諾いただきました。
このほか、医療情報の黒田先生の教育講演もあります。日本のElectric Health Record(電子健康記録)をリードする黒田先生のお話し、乞ご期待!
看護分野では、米国の急性期病院で看護管理のトップマネージャーとして質向上を担当された竹熊カツマタ麻子先生から、看護師を惹きつけ、患者アウトカムを出す質の高い病院に認証されるマグネット病院におけるアウトカム評価や、高度実践看護師の活用、多職種連携を通じて、患者アウトカムを出すことに尽力してこられた経験をお話しいただきます。また、これに関連して、米国の新しい役割であるクリニカルナースリーダー(CNL)のセッションを組んで、日本での取り組みを共有します。米国のCNLの話も直接聞けます。
シンポジウムでは、専門看護師の北村愛子さん・桑田美代子さんにご登壇いただき、患者像をつかむ・伝える・共有する その極意を語っていただきます。

もっともっとアピールしたいですが、長すぎますね・・・・

事前申し込みは6月6日まで延長しました。
祇園祭最中の開催です。日中は大会で学術交流、夜は宵山を楽しみ、大会終了翌日の7月17日(海の日)は山鉾巡行を堪能のコースはいかがでしょう。
ホテルは、学会HPからまだ予約できます。まわりに食べるところがないので御弁当も一緒に申し込めるようにしています。
お昼休みは食事しながらの講演等を企画しています〜懇親会は舞妓ちゃんも登場!
みなさまお誘い合わせてお越し下さいませ〜〜
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学会の紹介2017/04/27(木) 06:07:46 RSSにてレス一覧を表示
福井大学医学部看護学科 上野栄一さん
クリックにて拡大表示みなさん、こんにちは!新学期、新年度が始まり、学校、施設での入学式や入職(社)式などが終わり多忙な毎日を送っていることと思います。
さて、看護研究は看護師の責務の一つです。一つ一つの研究が看護の基盤を作ります。ぜひ学会に参加して新しい知見を得てください。
また、看護研究の成果を発表する場は、学会です。今年もぜひ、日本看護研究学会、日本看護研究学会近畿・北陸地方会にご参加ください。
昨年の近畿・北陸地方会は、大阪医科大学で開催されました。学術集会長 荒木 孝治
(大阪医科大学看護学部)のもと「看護の発展へのChallenge!!‐実践から研究へ、研究から実践へ‐」というテーマで開催され、200名近くの参加者がありました。シンポジウム、セミナーをはじめとして一般演題発表もありました。
本稿では新年度が始まりましたので、学会の紹介をいたします。様々な学会が今年も開催されますが、ここでは、日本看護診断学会と日本看護研究学会の学術集会を紹介いたします。
第23 回日本看護診断学会学術大会が7月15日、16日に京都国際会館で、開催されます(大会長 任 和子先生)。
本学会学術集会では、次の特別講演や教育講演があります。ぜひご参加ください。
・患者像をつかむ!
・再考:患者像に名前をつけること
・患者中心のチーム医療の現在〜米国急性期病院の実践から〜
・臨床でよく使う看護診断
・脳卒中ケアの地域連携 〜情報共有における課題と看護診断への期待〜
・患者像をつかむアセスメントと看護診断
・患者像をつかむ、伝える、共有する 〜変わりゆく医療現場の中で〜
次に、日本看護研究学会学術集会を紹介します。
日本看護研究学会第43回学術集会が8月29日(火)〜30日(水)東海市で開催されま
す(学術集会会長 日本福祉大学看護学部 山口桂子)。
本学会も様々な次に示す講演などがあります。ぜひ、ご参加ください。
・「論文クリティークのこつと事例の紹介」
・「看護の臨床現場における量的研究へのアプローチ」
・江戸・明治時代から息づくモノづくり・人づくり・健康づくり〜愛知の食文化と健
康〜
・「被災者を対象とする調査研究の倫理」
・「質的研究のシステマティックレビューの実際」
・「質的研究成果の看護学教育実践への還元」
・「高度実践看護の実践・研究成果と課題」
・「摂食嚥下障害看護の質向上のための研究と教育」
・「高次脳機能障害者の家族支援を通して」
・「学生と研究を楽しむための仕掛けづくり(仮)」
・「与薬の実践者である看護師に求められる薬理学教育とは −Patient-oriented
pharmacologyの概念に基づいた看護薬理学教育の重要性−」
・「看護実践に活かす人間工学のエビデンス」
・「−原点回帰− 看護学研究 何のために何を知る?」

次に今年も秋に北陸と関西地区で看護研究継続セミナーを開催いたします。
詳細は5月下旬にはホームページに公開予定です。こちらの継続セミナーにもご参加
ください。
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“自分らしく送られたい” 大本山永平寺とのコラボ2017/03/14(火) 13:45:54 RSSにてレス一覧を表示
福井県立大学 成人看護 有田広美さん
 福井県には、皆さんよくご存じの「永平寺(曹洞宗の2つの大本山のひとつ)」があります。実は福井県立大学は永平寺と同じ「永平寺町」にあります。去る2月25日に市民対象に「自分らしく、送られたい−あなたは、人生の終わりをどう考えていますか?−」というテーマでまちづくり講演会が開催されました。名田庄診療所所長の中村伸一先生(NHKの『プロフェッショナル仕事の流儀』に出演)は「あなたも幸せになれる実践的幸福論」と題して「手相を見て生命線が短い人はマジックで付け足してください」「ポジティブシンキングとネガティブシンキングは3対1が長寿の黄金比」とユーモアあふれる話をしてくださり、笑顔とポジティブシンキングと感謝の3つが幸福になる秘訣だと話されました。
 そして中村先生と永平寺の老師と私とで「自分らしく送られたい」についてのパネルディスカッションを行いました。そこでは「末期でも健康」的に生活している高齢者、病体験から価値観が変わり生き方が変化した壮年期の方、学生に身をもって生き様を教えてくれた方などの実践例が語られました。答えの出るテーマではありませんが、様々な人とのつながりの中で当たり前の日常生活を送ること、その人の役割をこれまで通り遂行できること、今を大事に生きることが幸せを感じられることなのではないかと語り合いました。仏教のお立場からは、自分が他者を支えているつもりが実は自分が支えられているものであり、一人じゃないと気づけることが幸せや感謝につながるとおっしゃられていました。緩和ケア論を担当する教員としては、老師のお言葉は看護につながるものがあり、永平寺とコラボして地域の方々および学生と共に考える機会をまた持ちたいなと思いました。ちなみに、4月1日13時より福井フェニックスプラザにおいて医療人類学者であり禅僧でもあり終末期ケアに携わってこられたジョアン・ハリファックス博士の「『病・老い・成長』を支えるすべての人のために」講演会があります。気忙しくなる4月ですが、貴重な体験をして来ます!
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流 行2017/02/27(月) 23:58:55 RSSにてレス一覧を表示
園田学園女子大学 看護基礎学 柏原 寛美さん
クリックにて拡大表示 そろそろインフルエンザの流行が終わろうとしています。子供たちの学校では今季は昨年末と今月、学級閉鎖が続出しました。昨年末はA型、今月はB型が流行りだったそうです。言わずもがな感染症の成立は病原体、感染経路、宿主感受性によります。冬季は病原体の生息しやすい環境と宿主感受性の脆弱化が整ってしまうことに加え、寒気と低湿度によって飛沫の抵抗が少なくなることで感染経路としても流行に最適だとか…しかし、本来、感染症に感染すると原因の抗原に対して抗体ができ、感染を防ぐことができるはずですが、インフルエンザの抗原は毎年のように連続変異するため、繰り返し流行します。しかも、長らく信じられてきた予防法「うがい」も無効とされ、最近では予防法として舌みがきが流行りのようです。感染症の流行はこのくらいにして、流行りと聞いて一番に思い浮かぶのはファッションでしょうか?音楽のジャンル?言葉や食べ物にもあります。そして、看護業界にも…研究分野であれ、各看護領域の療養法であれ流行が存在します。
 これらのように思考や意思を伴う流行は、病原体の流行と違って、特定の行動・思考様式が社会の中で受容され、急速に普及し、やがて消滅していく現象と定義されます。私は最近、この看護業界の流行に関心があります。流行の特徴として、以下の6つが挙げられるようです。1.何等かの意味において新しいもの、珍しいものが取り入れられる新奇性、2.発生してから終息するまでの期間が短い短命性3.流行が反復することがある周期性4.流行の対象以外に自由に選択できる複数の選択肢がある機能選択肢の存在。看護に存在する流行を考える場合、流行の特徴として挙げられる残りの2つが驚きなのです。5.何かの役に立つとか、一定の利益を生み出すかなどとは無関係であるという効用からの独立。6.人間生活の本質的な部分に関連することはほとんどない瑣末性さまつせい。看護において効用から独立すること、瑣末性があり得る??もちろん、この教科書的な特徴に看護をそのまま、あてはめてはいけないのでしょうが、効用からの独立はしばしば見受けられます。
 身近で一番、影響力強いなぁと感じるのが看護提供方式です。今だとPNSを採用している施設が多く、私も決して否定派ではありません。でも、中にはパートナー決定のマッチングが十分に行えず見切り発車的にPNSを推し進め、現場から非難と不満の嵐を受けている施設もあるとか無いとか。これは確かに効用からの独立そのものです。これは、看護師が患者の問題には気づくし、患者の問題は探せるのに、自分自身の問題には気づかない,もしくは自己評価能力が乏しい傾向があるからではないでしょうか?さらに、大きな理由は問題の特定や評価が適切になされないままに「流行にのっかっちゃった」からではないでしょうか?
 流行を採用する心理は、新しいものを求め、他者と異なる自分を顕示したいという欲求である異化と社会や他人から孤立したくないという適応と同調を求める欲求ある同化があり、この2つの相反する欲求を満たすために流行を取り入れるそうです。これらの欲求って確かに人間生活の本質的な部分には関連しないですね…でも、流行かどうかは結果論であって、新しいものが採用され、流行かなと思っていてもそのまま定着し、結果、流行とは言わないものもたくさんあります。新しいものを流行にするかしないかは採用者が自ら抱える問題の本質を解決するものとして採用するか否か、または効用を吟味しつつ採用するか否か、そして、採用による評価を継続的に行うか否かによるのではないかと思います。
 そんなことを語りつつ、流行に乗り遅れないよう、春の新作衣装をお姉さんにすすめられるままにショッピングし、若い学生に教えてもらった流行歌を覚える小心者の私。流行を採用する側でなく、流行を作り出す側になりたいものです。
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