近畿・北陸地方会

滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山・福井・富山・石川の看護研究者・看護職者に、学術集会などを開催しています。

沿革

近畿・北陸地方会の歩み

1 地方会の発足

本地方会は1985年度に日本看護研究学会から設立を認められ、「C地区地方会」として発足しました。C地区とは当時の日本看護研究学会における地区割りに基づく名前で、実際には「近畿・四国」を指しました。地方会組織を発足させたねらいは、当時C地区に看護系大学がなかったこともあり、若手の研究者を育成することでした。

2 当初からの主な事業

まずは発足年に、会員の研究成果を発表、共有する場として、京都において「第1回地方会学術集会」を開催しました。そのときの一般演題数は7題でした。これ以降ほぼ毎年、地方会学術集会を開催しています。
1988年度には、看護の課題をともに学んだり追究する場として、「NEW看護学セミナー」が始まりました。第1回のテーマは「看護研究の立案からパソコンによるデータ処理まで」というもので、当時の地方会会員のニードが窺われます。NEW看護学セミナーも、ときに開催しない年度がありながらも本地方会の事業として定着していきました。

3 地方会の分離

1993年には、日本看護研究学会の地区割りが変更されました。これに伴い、C地区地方会は「近畿・北陸地方会」と「中国・四国地方会」に分離しました。ただし地方会学術集会とNEW看護学セミナーという2大事業は、2つの地方会が協同して、たとえば近畿・北陸地方会が学術集会を担当する年度には中国・四国地方会がNEW看護学セミナーを担当するという形で継続することになりました。
地方会の会員数は、C地区地方会発足当初から順調に増加傾向をたどってきていました。近畿・北陸地方会となって以降、この10年間でも、1997年度=777名、2000年度=961名、2003年度=1095名、2005年度=1237名という状況です。このような会員数の急増状況、あるいは看護系のさまざまな学会組織の相次ぐ設立、看護系大学の増設などを背景に、やがて、本地方会ならびに中国・四国地方会のあり方を再検討してはどうかという声があがってきました。これを受けて2002年度にプロジェクトチームを立ち上げて地方会のあり方を検討した結果、中国・四国地方会と完全に分離し、地方会学術集会などの事業もそれぞれが開催することになりました。

4 近畿・北陸地方会として独立して

独立の翌年には「看護研究継続セミナー」活動を開始しました。これは、看護研究を行っている会員に対し、講演会やコーディネーターとのグループワークをとおして支援するものです。毎年、このセミナーの場で継続された研究成果が、地方会学術集会などの場で発表されています。
本地方会はこのような経過をたどって今日に至っています。